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    第581号

    50年にわたるぜんそく闘病記(1)

    東京都 S.I(54歳)

    (1)3歳でぜんそくを発症

     「人間が息をしない生き物ならいいのに」。いつも子どもの頃に考えました。「息さえしなければ、私もまわりのみんなと同じ人間なのに」。

     私とぜんそくとのつきあいはもう半世紀になります。物心ついた時から、いつも息苦しい生活でした。妹たちと一緒に外遊びをしても、姉の私はすぐに苦しくなって、部屋の片隅で安静状態。これが子どもの頃の構図でした。

    (2)入退院の繰り返し
    ~両親は死を覚悟~

     ぜんそく発作はいつも夜半に起きました。時間外に近所の小児科の扉を母が無我夢中でノックします。灯がつけば、何度も頭を下げ治療を受けました。灯がつかなければ、一晩中母が背中をさすって、耐え忍び、朝を迎えました。苦しさに耐えきれなくなると、母が私をおぶって外を歩き回ったこともありました。

     私のアレルゲンは、ダニ、ほこり、ブタクサ、牛乳、卵などでした。小学生の時、減感作療法を受けましたが、その甲斐なく、状態は悪化しました。小2の時、当時祖父の勤務先だった大学病院に入院しました。強いステロイドの治療を受け、一時は回復したものの、薬の副作用で夜尿を繰り返すようになりました。状態は良くならず、両親はぜんそくに良いと聞けば何でも取り入れ、怪しい漢方薬で逆に発作が増悪した経験もありました。発作の苦しみと戦った日々は今も忘れることができません。限界までくるとお守りの中身を小さくまるめて飲み込んだこともあります。まさしく「神頼み」です。

     小5の時、父の勤務先系列の病院に転院し、夜中の発作でも急患で診てもらえるようになりました。当時自宅に車はなく、夜中発作が出ると、割増料金のタクシーで1時間以上かけて病院へ向かいました。苦しさの中で家族の負担が気にかかりました。

     いちばん重篤な発作を起こしたのも小5の頃でした。酸素テントの中で息が絶え窒息状態となりました。血圧が下がり、両親は私の死を覚悟したそうです。複数の医師による懸命の処置により一命を取り留めました。病院と家のどちらが自分の居場所かわからなくなりました。学校はほとんど行っていません。

     小児病棟では、友達もできました。この五反田の病院は当時人気だったドラマ「赤いシリーズ」の舞台でした。同室の泰子ちゃんと病室を抜け出し、夜中の撮影現場をこっそり目にしたことは、苦しさの中での楽しい思い出です。泰子ちゃんはその後天国に旅立ちました。自分は泰子ちゃんの分まで頑張らなくちゃいけないと思いました。(つづく)

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